大掃除

最近、大掃除をしている。
たくさんの本や、ゴミ、古いテレビ、オーディオなどが
処分したいのだが、これが大変だ。
ポンと捨てられなくなっている。
業者に手配して、金を払って処分してもらう。
業者といってもよくわからない。


ものを買うのは簡単です。
消費において、僕たちは王様だ。
あの手この手で持ち上げて、
売りつけてくる。
家まで据え付けてくれる。


しかしそれを処分すのがいかに大変か。
誰が持ち運んで、処分してくれるのか。


日本人の消費欲の減退は、
このようなところにも表れているのかもしれない。
処分の面倒を考えれば、
買うよりも使い続けよう・・・


なんどもそんな思いになる。


廃棄と老人をつなげるのは失礼だが、
老後にも同じようなことが言えるのかもしれない。
若いうちはよいが、
年を取ると、日本の社会はとたんにやさしくなくなる。


結局、市場を重視する社会はこのような傾向に
ならざるをえないのだろうか。
金が全てとは言わないが、基本的な原動力としているために
このようなことが起こる


そしてそれが結局、いまの日本の経済の閉塞を
生んでいる。
安心して消費できない社会


しかし不思議なのが、さらに市場主義が進んだアメリカでは
日本のような消費減退現象が起こっていないことだ。


アメリカには借金しても消費する文化がある。
使うことで経済が傾聴し、インフレ成長によって、
過去の借金が実質的に価値が下がる。
まさに先のサブプライムローンはその原理が
活用されて、リーマンショックが起こった。


しかしリーマンショック後も、抑制はされたようだが、
消費の旺盛さは戻りつつある。
まさにそれは文化なのだろう。
日本のように財を単に貯蓄することは考えない。
財は投資して増やすものであり、
経済は成長するものだ。


そこには移民の積極的な受け入れがある。
貧しい移民が流入し、そして実力社会のアメリカでは、
彼らの一部が実際に成功する。
そして消費する。経済は成長し、インフレが起こる。
だから貯蓄するなど、宝の持ち腐れなのだ。


日本人は裕福というと、所得をいうことが多いが、
アメリカでは資産である。
どれだけの資産があるか。そしてそれが富を生むからだ。


話しを戻せば、日本では労働から引退した老人は、
年金と、それまで貯めた貯蓄で食いつなぐ。
インフレになると貯蓄の価値が下がるので、デフレを望む。
いつ死ぬかわからないから、無駄使いはできない。
子供にかまってもらうためにも、残っていなければならない。


アメリカの老人は、貯蓄を投資へと回しているために、
インフレを望む。金利が上がりつつけることで、
貯蓄が増える。


実際、アメリカ社会はこんなに生やさしいものではない。
階級といっていいような格差社会である。
多くの下層の人々がいて、医療もまとめに受けられずに
死んでいく。


それに比べて日本は世界一の長寿国である。
そして漠然としてはしているが運命共同体的な価値をもつ。
下層を切り捨てないように、社会保障の重質を計っている。


日本人の消費欲の減退は、経済低成長、少子高齢化
入って、貯蓄を重視する自己防衛的な反応ともいえる。
そしてその自己防衛には、運命共同体的に、
「日本人」として社会保障を担わかねればならない了解も含まれる。
日本人がみなで経済低成長時代を生き抜こう、ということだ。